どうもです、タドスケです。
最近、仕事でもプライベートでも AI ツールを触っていて思うのは、

英語が使えるかどうかで結構な差が出てきそうだなー
ということです。
今日は、そのあたりについての僕の考えを記事にまとめてみたいと思います。
新機能の日本語対応は、遅れてやってくる
新しい AI ツールや既存 AI ツールの新機能は、多くのケースで英語から先に公開されます。
日本語に対応されるのは、それから数か月後というのも珍しくありません。
例えば NotebookLM の音声生成機能。
先に英語版が出てから日本語対応されるまで、ずいぶんと時間がかかりました。
先日、NotebookLM は動画生成機能も公開されましたが、こちらは執筆時点で日本語には未対応です。
日本語対応がされた頃には、その機能自体が陳腐化してしまうなんてこともあり得る話です。
日本語対応していても、精度が微妙
日本語に対応していたとしても、日本語の精度が低いことがあります。
ChatGPT で文字入りの画像を生成した時が、一番わかりやすい例かと思います。
日本語だと明らかに文字化けしたり、はみ出たりする可能性が高まります。
以下の画像は、先日公開されたばかりの GPT-5 を使って同じテーマの漫画を日本語と英語で生成させてみた例です:




コーディング分野でもこの差は顕著で、たとえば ClaudeCode は日本語入力が極端にやりにくいです。
以下の画像例では、左端に入力カーソルがあるにも関わらず、IME は右端に表示されています:


もちろん、これに対策したツールやプラグインはありますが、いずれも公式のものではない以上、安全性が不明だったり、ツールのアップデートで動かなくなってしまうリスクが常にあります。
そもそも初めから英語で使えていれば、そんな悩みとは無縁でいられるわけです。
「英語のまま使える」ことのアドバンテージ
今後、AI を使いこなせる人とそうでない人の格差はますます広がっていくと思われます。
外資企業を目指さなくても、「AI を使いこなし、自分だけでなく会社全体の生産性アップに貢献できる人材」になれれば、国内企業でも十分な待遇を得られる可能性があります。
そのためにも、「英語で公開されているツールに抵抗なく触れること」には価値があるように思えます。
英語学習を続けることには変わりありませんが、その目的が少し変わった、今日この頃です。
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